Interview #07パルコにアニメショップができた理由

株式会社パルコ
手塚千尋

'10年に渋谷パルコで開催された『エヴァクリ展』に始まり、'12年『EVANGELION 100.0』、'15年夏の『エヴァンゲリオンの始点』と、この5年間で3つのエヴァ関連展覧会を開催しているファッションビル『パルコ』。route 2015第7回は、その仕掛人である同社・エンタテインメント事業部の手塚千尋氏を招いてお届けする。主人公・碇シンジと同じ14歳のころ、友達の影響で偶然にも『新世紀エヴァンゲリオン』を観ていた手塚氏。インタビューでは、そんな彼が約15年後にパルコでエヴァと再会し、後に手がけた『キキ&ララ』コラボレーションカフェを大ヒットさせるまでのストーリーを追う。

株式会社パルコ
エンタテンメント事業部
手塚千尋
1980年、神奈川県生まれ。京都大学農学部出身。大学卒業後に株式会社パルコへ入社し、広島パルコ勤務、株式会社パルコ・シティへの出向を経て'11年より本社エンタテイメント事業部に所属。渋谷パルコミュージアムでの展覧会や、'14年に『キキ&ララカフェ』で大行列を作った渋谷パルコの情報発信型カフェ『THE GUEST cafe&diner』の企画などを務める。

その張本人は、
僕かもしれない

東京・渋谷の神南一丁目交差点から代々木公園へと通じる公園通り。その愛称の由来のひとつが、今から約40年前に当地でオープンしたファッションビル・渋谷パルコだったのをご存知だろうか。イタリア語で“公園”を意味する店名の通り、渋谷パルコは若者向けのファッション販売を軸に置きつつも独自の映画館やギャラリーなどを併設し、人々が集うカルチャー情報発信地としての役割を担ってきた。

「パルコでヒットするコンテンツは、いつも世の中の流行の半歩先にあります。僕たちのポジションって、よく跳び箱の前にある踏切板みたいなものに例えられるんですよ。それはファッションブランドでもパルコミュージアムや劇場で扱うコンテンツにしても同じ。一般層に広がる直前のタイミングで僕らが拾い上げるものは、その後踏切板のごとく、世の中にポンッと一気に浸透していくようなところがあるんです」

そんなパルコがここ5~6年で精力的に“ポンッ”と世に放ってきたもののひとつが、アニメを中心としたポップカルチャー。渋谷パルコパート1の6階は現在『シブポップ』と名付けられ、漫画『ワンピース』の公式ショップやアニメ・ゲーム等のグッズを扱うショップでフロア丸ごとが占められている。また昨年は池袋P'パルコに『EVANGELION STORE』が移転オープンし、同ビルの地下には『ニコニコ本社』まで移転した。'80年代にスノッブなDCブランドを求めて渋谷パルコに通った世代や、'90年代に周辺のセレクトショップ巡りを楽しんでいたような世代からすれば、ちょっと想像がつかなかった光景だ。

「当初は、話題のアニメ映画が公開したときなどに限定ショップやイベントを設けていた程度でした。だから実際にアニメの専門ショップが増えてきたのはここ1~2年。会社の中にいる僕自身、渋谷パルコでこんなにアニメの絵を見かけることになるとは正直思っていませんでした。ただ、その最初のきっかけはなんだったのかを考えると、まず思い当たるのがかつて弊社が運営していた通販サイト『パルコ・シティ(現在は『パルコリミテッドストア』)』なんです。そこで'09年ごろに通販限定で実験的に作ってみたあるアニメグッズが、想像を上回る売れ行きを記録してしまって」

株式会社パルコ・シティは、パルコのWebプロモーション部門として'00年に創業した別会社。手塚氏は現在のパルコ本社に勤務する以前、この会社に出向という形で所属していた。

「その“あるアニメグッズ”を企画したのが…実は他の誰でもない、僕だったんです(笑)」

今回のroute 2015でお送りするのは、そんな東京ファッションの殿堂ともいえるパルコに、アニメパワーを伝染させてしまった(かもしれない)男・手塚千尋氏とエヴァンゲリオンのストーリー。彼がどんな経緯でそのきっかけを作り、そしてエヴァと出会ったのかを探っていこう。

渋谷の公園通りといえば『渋谷パルコ』。パルコは本来1967年オープンの池袋店から始まったが、買い物スポットと言えばデパート=百貨店が主流だった中で、若者にターゲットを絞ったファッションビルというコンセプトが斬新だった。渋谷でのオープンは1973年のこと。銀座や新宿のように百貨店が多くなかった土地柄もあり、渋谷はパルコの登場によって若者文化が生まれる街として発展していったのだ。