デジタル嫌いの人間が、
なぜかECサイト担当に
そもそも手塚氏が所属するエンタテインメント事業部の仕事は多岐に渡る。パルコ劇場やクラブ クアトロでのプロデュース公演に始まり、併設される映画館シネクイントで上映される映画の買い付け、書籍の出版、渋谷パルコミュージアムで開かれる展覧会のプロデュースなどなど。エンタテインメントと名のつくあらゆる事柄は彼らの守備範囲で、世の中から拾い集めてきた“面白いこと”をどうパルコらしく見せるかがセンスの見せ所となる。
「エンタメ事業部のなかでも僕が所属しているのは、展覧会のプロデュースやカフェの運営、音楽フェスなどへの出資をしている開発部門というところ。開発チームのメンバーはいま10人くらいで、そのトップにいるのが、'96年に日本でもヒットした映画『トレインスポッティング』を買い付けた人間です。僕は学生時代は理系で、京都で過ごした大学時代も植物のDNAなどを研究していたんです。でもその一方でファッションとかのカルチャーも好きで、趣味でアート系のサークルを運営していました。そのときのコアメンバーも確か10人くらいだったかな。例えば京都の町家を借りてイベントやカフェをやったり、ダンスミュージックが好きだったのでDJと楽器を絡めたバンドをやったり、周りの美大生と一緒に映画を撮ったり。京都って学生同士のコミュニティが発達した街で、東京と違ってキャンパスも広い。畑もあれば学生寮もあり、そこに色んな大学の色んな人が出入りしていたんです。子供の頃の夢は科学者でしたが、そんな学生生活を送ったせいか、やっぱり働くなら自分の好きな文化に関わりたいと思うようになって」
そこで第一希望として考えていたのがパルコ。それもエンタテインメント事業部で働くことだった。
「パルコは一部上場企業の中でも自由度が高い会社。それに文化的側面が強い印象がありました。音楽ライブの企画や映画の買い付けまでできるし、自分がサークルでやっていたことと近い仕事ができると思ったんです。ただ、それから運良く入社はできたんですが、最初の配属先は東京ではなく広島店。季節ごとのキャンペーン企画などを手がけていましたが、本社で働きたくて悶々としていたので、当時のことはあまり記憶に残っていないんです(笑)」
プライベートは楽しかったものの、与えられた仕事には満足できなかった広島店で数年間の勤務を終えた手塚氏。しかし次の配属先は、むしろ憧れのエンタテインメント事業部からさらに遠ざかった。それが同社のWebプロモーションを担う別会社『パルコ・シティ』である。
「出向という形で、パルコ社員としては珍しいパターンでした。実はそのころっていわゆるITバブル時代で、学生もみんなIT企業に入りたがったころ。でも当の僕はインターネットにもデジタルなビジネスにも興味がなかったし、むしろネットの虚構っぽい雰囲気は大嫌いでした(笑)。当然通販も好きじゃないから絶対そっちには行きたくないと思っていたのに、あろうことかネット通販部門。でもその時はちょうど『ZOZOTOWN』が出て、ファッション通販が伸びていく兆しも見えていたころ。そこで働いて数年後、'08年くらいにある人物に出会ったことが、僕の最初のターニングポイントになったんです」