集団でモノ作りする場に宿る未知
そこに人は感動する
アニメは集団で作るもの。漫画や小説のようにクリエーションとプロダクションが一体化しているものではなく、スタッフ同士の関係性から練り上げられていくようなところがあると氷川氏はいう。
「原画を動画にトレスした時点で、描いた線の持ち味が抜ける。この関係が端的に示すとおり、アニメーションはプロダクトにするために、クリエーションを破壊する部分があります。エヴァはそこを受け入れつつ、さらに何サイクルかやり直してスクラップ&ビルドを繰り返す。そこで何を残し、何を壊すか。この判断は実はものすごく有機的な作業です。大勢でそれを進めているとき、ふと作品に魂が宿る瞬間がくるのでしょう。それは奇跡といっていい現象。そうやって集団でモノ作りをしている場に降りてきている何か。それに人は感動しているんだろうと。僕は理系だからシャーマニズムでオカルトな話は好きではないんですが、結局そういうことなんですよね」
自分はどうしてこんなにアニメーションに心奪われるのか。氷川氏はその理由をずっと追い求めてきた。
「エヴァの仕事を通じ、秘密に一歩ずつ近づいているような感触もあります。いまだ僕たちが言語化できていない、発信側と受信側を結びつけている相互関係がきっとある。今までは、そこについての言語化が、あまりにないがしろにされてきたという想いがありました。『昨日のアレ観た? 面白かったよな』でいろんなことが通じ、価値観が共有されるのが、アニメの良さです。でも非言語の通じやすさに甘えすぎて、『何が面白かった』『こういう点が良い』という具体的な価値判断を暗黙知のようにして、分からない人を排除してきたようなところがある。『鉄腕アトム』からもう半世紀――その50年は決して短い時間じゃないのに。1960年代、映画は文化としてすでに体系化され、芸術としても認められていました。アニメはその体系化すら整備されておらず、単なる消費物として大量の作品が流れているだけです。これでは文化になりようがない」
'12年、予想外の展開となった新劇場版第3作『:Q』の初号試写を観たとき、氷川氏はその想いをまた新たにしたという。
「『:Q』に関しては、ほぼすべての内容が極秘でした。公開前にパソコンの遠隔操作事件があったので、万が一僕のところから漏れたらどうしようか、ヒヤヒヤしながら公開を待ちました(笑)。ところが、台本や資料を読み仮映像で取材までしているのに、実際に完成した初号フィルムを観たら、ものすごく新鮮な驚きがあったんです。『:Q』は一貫してシンジくんの視点で進み、主人公といっしょに驚かされ続ける作品でした。その感覚が、まさしく映画体験なんです。見知らぬ異世界に飛ばされ、嬉しいこととひどいことを体験して、還ってくる。鑑賞後、誰もが『信じられない』という顔をしていたはずですが、情報として知っている僕ですら同じ感覚を味わえたんです。映像を観るその瞬間にしか成立しない、アニメーションならではの体験性。それが『:Q』にある。その重要性を、物語ごとの完全新作で改めて思い知らされたということです」
制作現場で作品に魂が宿る瞬間。そして、その魂を観客が受け取ったときに生まれている何らかの原始的な感情。
「そういう不思議なものをできるだけ正確に観察し、言語化すること。それも僕の使命なのではないか。エヴァと関わりを続ける中で、そんな風に思うようになりました」