Interview #08コミュニケーションが
加速する場所

route 2015ディレクター
RADIO EVA元ディレクター
武藤祥生

時代のエネルギーが集まる「場所」作り

「地元の九州にいたころは、ラジオのディレクターをやっていました。ラジオの世界に入ったのは、大学生だった21歳のころ局の方から突然『番組をやらないか?』と誘われたのがきっかけ。地元のイベントやクラブでDJをしていたのを、番組プロデューサーに見つけてもらったんです。好きな音楽に関われるラジオ制作は面白かったのですが、せっかくラジオ番組を作るなら、10代のころに聴いて一番影響を受けた番組『スネークマンショー』のプロデューサーだった桑原茂一さんの会社・クラブキングに行きたいと思って、門を叩きました。ちょうどエヴァの最初の劇場版が公開していた'97年ごろ。28歳のときに上京したんです」

ラジオがまだ若者と最新の音楽を繋ぐ貴重なツールだった70年代後半~80年代にかけ、『スネークマンショー』は先鋭的な選曲にラジカルなコントを交えた独特の構成でカルト的人気を誇った番組。当時大ブームを起こしていたYMOと共演したアルバム『増殖』でオリコン1位を獲得するなど、後のミュージシャン、お笑い芸人などにも多大な影響を与えている。

「僕が入社した当時のクラブキングは、東京のストリートファッションやクラブカルチャーなどを牽引する存在でした。特に『dictionary』というフリーペーパーが有名ですが、広告制作、音楽イベントのオーガナイズのほか、小さいながらもラジオ、ビデオ、Webと独自のメディアを持ってメッセージを発信している会社です。僕はそこで、主に広告制作やイベント企画に携わりました。自分のなかでクラブキングの存在感は、アニメ『交響詩篇エウレカセブン』に登場したゲッコーステイトや、作中の雑誌『ray=out』のイメージに近いんですよ。同じ時代の気分を共有している人々が、街にある面白いモノを探して思い思いに旅を続けているような感覚……というか。モノを作るときって、クリエイターの意見ばかり優先するとクライアントの意向から離れがちだし、逆に予算やクライアントの都合ばかりだと、今度はクリエイターのやる気が削がれますよね。僕がそこで鍛えられたのは、双方が楽しく仕事できる場所、その落としどころを見つけるコミュニケーションの取り方でした。要はクラブキングって、時代の気分を象徴する面白い人・モノ・コトが繋がる“場所”を作るのが得意なんです。そこに才能ある人々やお金がたくさん集まって、新しいモノやコトが生まれるという。いま思い返しても、色んな人々が出入りしている変わった会社でしたけどね(笑)」

その時代に手がけた集大成的な仕事といえば、'01年、'02年に担当した『T-SHIRTS AS MEDIA』。クラブキングが提唱していた“メディアとしてのTシャツ”という切り口を発端に、総勢100名のミュージシャンやデザイナー、写真家などのクリエイターが集結。武藤氏はそのプロダクト展開やイベント企画、EC展開を担った。

「あのころは裏原宿系のストリートブランドがメジャーになりつつあって、その主力アイテムだったTシャツに大きな力があった時代。クラブキングでは、そういった時代のエネルギーが集まる場所を作る面白さや方法論を教えてもらったと思います。ただ、その後ストリートやクラブで起きていたムーブメントは縮小していって、人々の興味もインターネットやアウトドアなど、色んな方向に細分化していったんです。僕も'03年にクラブキングを辞めて、新たな会社で違う分野の広告制作などに携わっていきました。そんな流れのなかふと出会ったのが、僕が全く知らなかったアニメの世界。つまりエヴァンゲリオンだったんです」

クラブキングが現在も発行している日本を代表するフリーペーパー『dictionary』は、全国のタワーレコードなどで入手できる。武藤氏が担当した'01-'02年の『T-SHIRTS AS MEDIA』写真集は、アートディレクションを坂本龍一氏のCDジャケットのデザインや雑誌『Cut』のロゴデザインなどで知られる中島秀樹氏が手がけている。

『スネークマンショー』とは、70年代後半からから'80年にかけてラジオ大阪などで放送された伝説的な音楽番組。仕掛人は選曲家・音楽プロデューサーとして知られる桑原茂一氏と、日本を代表するラジオDJの小林克也氏、俳優の伊武雅之氏(現・伊武雅刀)の3人による同名のユニットだった。写真は'80年に発売されたYMOとのコラボレーションアルバム『増殖』。