ガレージキットにアクションフィギュア、食玩ブーム。route2015第6回のゲストは、模型業界の風雲児として世界に名を轟かすフィギュアメーカー、海洋堂のセンムこと宮脇修一氏。エヴァンゲリオン関係者とは、ガレージキットや模型イベント『ワンダーフェスティバル』の黎明期からの古い付き合いになる。今から約30年前、アニメや特撮、模型を愛するオタク向けの新しいビジネスを同時にスタートさせた両者は、その後それぞれに異なる道を選び歩み始めた。片やアニメやゲームの寡作なヒットメーカー。片や自らを社会不適合者ばかりだと名乗る貧しい造形集団。約10年後、両者にエヴァンゲリオンという名の福音が降り注ぐ…。
日本一模型が
売れる店から、
日本一の造形集団へ
「僕らみたいなただのいち小売店でしかなかった模型屋が、メーカーとして大手を振れるようになった。我々に対してエヴァがもたらした影響って、簡単に言えばそういうことでしょうね。それまでは、レジンキャストのガレージキットって累計1000個も売れれば大ヒットの域。それがエヴァ関連となると、初回ロットだけで3000個とか、単純に10倍ぐらい売れたんです。マニアのために初回50個くらいのキットをチマチマと手作りしていた僕らからすれば、そりゃ、世界も変わりますわ(笑)。僕らは'82年からずーっと愚直に模型だけを作り続けてきて、そのとき初めて、ガレージキットで商売らしい商売ができたんとちゃいますか?」
今どきフィギュアと言ったら、アニメショップなどで気軽に買える、PVC(ポリ塩化ビニル)製の塗装済み完成品を思い浮かべる人が大半だろう。しかしエヴァがTVで初放映される以前、アニメの絵柄を忠実に再現した完成品フィギュアを手に入れられる機会など、実はほとんどなかった。海洋堂のような模型店や、アマチュアの模型販売イベントで少量生産のガレージキットを手に入れ、それを自分で組み立てて塗装するのが当たり前だったのだ。ほんの20年前までは、ホビー商品としての“フィギュア”という言葉すら、一般には認識されていなかった。
「エヴァは、全国の模型屋にガレージキットというマニアックな商品を一気に広げた作品でもあった。そして子供のオモチャとしての怪獣ソフビやプラモデルではなく、大人世代まで含めて楽しめるハイクオリティな“フィギュア”というものを一般にまで認知させたんです。エヴァって中国語では『福音戦士』ってタイトルだけど、それはまさに我々のような模型屋にとっての“福音”だったと言えるでしょうね」
そもそもガレージキットとは、トイメーカーが作り出したホビー製品ではなかった。70年代末ごろから、市販のホビー商品のクオリティに飽き足らぬマニアたちが自ら作り出したアマチュア発信の遊びだったのだ。今から遡ること約50年前。'64年に大阪の守口市で一坪半の模型店としてスタートした海洋堂は、先代であり宮脇氏の父である宮脇修氏の独創的な経営方針のもと、模型好きの間で『日本一模型が売れる店』として国内に名を轟かせていた。その後'82年からは、ガレージキットを主力商品に模型メーカーとして再出発。『チョコエッグ』の精巧な動物フィギュアで海洋堂の名を世に広げた松村しのぶ氏も、美少女フィギュアのカリスマとして今や世界中にファンを持つBOME(ボーメ)氏も、その当時から一人のお客さんとして海洋堂に通いつめ、いつしか模型に人生を賭けるようになった造形師たちだ。彼らはやがて、'84年から始まったアマチュアの模型販売イベント『ワンダーフェスティバル』などでその存在感を発揮していった。
「ワンフェスを作ったのは、かつてエヴァを作ったガイナックスの前身である、ゼネラルプロダクツという会社なんです。彼らはそもそも大阪に会社があって、ガレージキットなどSFマニア向けのグッズを売る店を経営していました。同じ大阪にある海洋堂とは、いわばライバルのような関係。ただ彼らが作るモノは、当時からパッケージにちゃんとした絵をプリントしていたり、商品として洗練されてましてね。うちも造形なら負ける気はしなかったけれど、当時は出来上がったキットを段ボールに入れて、マジックで怪獣の名前を書いてそのまま売るのが当たり前やった(笑)」
ワンフェスが始まった'84年の年末、ゼネラルプロダクツは姉妹会社としてガイナックスを東京で設立し、映画『王立宇宙軍 オネアミスの翼』の制作を発表する。その後ガイナックスはアニメやゲームの制作会社として頭角を示し、'92年にはゼネラルプロダクツを併合、'95年に『新世紀エヴァンゲリオン』を大ヒットさせるのだ。
「彼らはアニメの道へ進んでたまたま成功できた。でも我々は、相変わらず模型を作るしか能がなかった。今でこそ自社ビル建てるところまでは来れましたけどね、'90年代半ばまでは、もういつ潰れてもおかしくなかったです。何せビンボーなくせに自分らの作りたい物しか作れないし、好き放題やってきましたからね。でも結果的に、それが良かったんとちゃいますか?」
似たようなフィールドから始まった海洋堂とエヴァの歩み。両者がともに進んできた20年の道のりには、本一冊でも語り切れぬほどの濃密なエピソードがある。今回のroute2015では、宮脇氏ことセンムのインタビューをもとに、その笑いあり、涙ありのストーリーの一部をご紹介しよう。