Interview #06貧乏な模型屋に
降り注いだ福音

株式会社海洋堂
宮脇修一(センム)

中国生産から
始まった快進撃

笑いもあればケンカもあり。'90年代後半のガレージキット黄金期において、エヴァと海洋堂はそんな本気のぶつかり合いを幾度となく繰り返してきた。そして'97年、海洋堂はそこで得た収益をもとに、それまで同規模のホビーメーカーとしては未開であった中国生産に乗り出す。やがて生まれたのが、アニメ『北斗の拳』をモチーフにした同社初のアクションフィギュアだった。

「どこよりも早く中国生産に乗り出したのは、いわば先行投資ってやつ。当時アメリカの漫画家、トッド・マクファーレンが『スポーン』という作品でブリスターパックに入った精巧なアクションフィギュアを出してきて、オシャレ系の人たちの間で話題になりつつあったんです。我々はクールトイズと呼んでいましたが、その真似ごとをしてみようというのが最初のきっかけ」

『スポーン』のアクションフィギュアは、金型を使った射出成型のマスプロダクトでありながら、精緻な造形と塗装へのこだわりが話題となった商品。しかし海洋堂が同じ方法論で国内生産するにはあまりにも元手が足りず、そこで目を付けたのが低コストが見込める中国だった。当然のことながら、現地で海洋堂クオリティを実現するには並大抵ではない苦労があったという。

「その『北斗の拳』をきっかけに、2つの商品が生まれました。ひとつは、中国に拠点を作ったことで実現できた『チョコエッグ』の動物フィギュア。もうひとつは、ウチの山口勝久という造形師が開発した関節可動の新機構を採用した、『リボルテック』というアクションフィギュアシリーズです」

以降、食玩ブームはもとより雑誌のオマケフィギュアから、国内外の博物館で展示される造形物、現代美術家・村上隆の作品作りに至るまで、造形にまつわるあらゆる分野で『海洋堂』の名が広がっていった。

「特に'06年に発売したリボルテックは、エヴァがあったからこそ生まれたような商品。そもそもエヴァって、人間みたいな動きをするガリガリの細マッチョロボットでしょう。その複雑な動きに、アクションフィギュアでの表現がすごく向いていたんです」

海洋堂が切り開いた中国生産の道に、その後同規模の模型メーカーたちが次々と参入。現在コンビニやゲームセンター、アニメショップで手軽に買える完成品フィギュアの多くは、この歩みの果てに生まれたものだ。そしてエヴァのTV初放映から20周年となる2015年現在、日本の…いや世界のホビーファンの中で、海洋堂の名を知らぬ者はもはやいない。

「今となってはこうして自社ビルも持てたわけだし、それなりの評価は得てきたと思ってます。僕らが子供のころ、玩具も模型も大人が普通に楽しめるような物って一切なかったしね。30年前にガレージキットを作り始めたときですら、我々にこんな未来が来るとは思っていなかった。ただ、大好きなフィギュアがそれなりに溢れる時代を作れたと思う一方で、僕個人としては『こんなものか』という気持ちもあるんです」

リボルテック開発のきっかけとなったのは、造形師・山口勝久氏が考案した『山口式可動』と呼ばれるアクションフィギュアの新機構『モノシャフトドライブ』だった。これは、関節の可動軸を従来のアクションフィギュアとは違った角度でつけることで、単純な回転だけではない、“捻り”のような動かし方を可能にしたもの。この発想は、可動域をどんなに広げたところで、ユーザーの思うようなポーズを取らせることが難しかったアクションフィギュアの分野に衝撃を与えた。キャラクターの作中における“決めポーズ”が、山口式可動によって忠実に再現できるようになったのだ。

この『モノシャフトドライブ』に、海洋堂が別企画のために開発していた汎用関節商品『リボルバージョイント』を組み込んだのが、アクションフィギュア『リボルテック』である。人間のような柔らかい動きをするエヴァ各機の“決めポーズ”を美しく再現するには、アニメの絵を記憶する力と、指先でミリ単位の調整を行う集中力も必要。子供から大人まで遊び甲斐のあるフィギュアとして親しまれている。